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- 写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み
- 1911(明治44)年―1920(大正9)年
写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み
1911(明治44)年―1920(大正9)年
1911 (明治44)年 |
■この年、京都駅の乗降外国人は約1万5,000名。前年に対して5,800名の増加 |
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1912 (大正1)年 |
■外国人の京都ブームのピーク |
1913 (大正2)年 |
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1914 (大正3)年 |
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1915 (大正4)年 |
■この折りの改装費は、数千円に及ぶという |
1916 (大正5)年 |
■この頃、京都ホテルでは自動車による送迎を開始 |
1917 (大正6)年 |
■この頃から、日本人の宿泊・宴会などの誘致、盛んになる |
1919 (大正8)年 |
■第1次世界大戦の終結により、京都の外国人観光客回復にむかう |
1920 (大正9)年 |
■この年の入洛外国人客、8,292名(数年来の最高記録) |
<1911-1920>
■世相
明治の閉幕は、乃木大将殉死という衝撃的な事件によって最後を飾られた。続いて訪れた大正時代には、どこか着流しの自由さが。
大戦景気で好況ながらも、海の向こうでは中国大陸の動乱があり、シベリア革命の勃発あり。古き良き大将デモクラシーの時代は、やがて、大戦後の不況と米騒動の中に消えてゆく。
■流行語
- ミルクホール
- ニコポン(桂太郎首相のあだ名)
- 新しい女
- カチューシャの歌
- ノンキ節
- デモクラシー
- ペラゴロ
- ナッチョラン
- 憂うつ
- オーライ
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