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- 京都ホテルグループ135年の歴史
- 写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み
- 1951(昭和26)年―1960(昭和35)年
写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み
1951(昭和26)年―1960(昭和35)年
1951 (昭和26)年 |
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1952 (昭和27)年 |
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1953 (昭和28)年 |
■この年、上半期の京都観光客は362万人余り、外国人は前年比8割増24,000名 |
1954 (昭和29)年 |
■キャロニア観光団など海外利用者多数。天ぷら食堂の新設 |
1955 (昭和30)年 |
■進駐軍接収中に国が建設した志賀高原温泉ホテルの従業員宿舎を大蔵省より払い下げを受ける |
1956 (昭和31)年 |
■多数の国外観光団を迎え、未曾有の売上 |
1957 (昭和32)年 |
■志賀高原温泉ホテル裏山にゴルフ練習場を新設 |
1958 (昭和33)年 |
■この年も、内外の観光団、学会関係者ら多数、来館。給湯配管工事、防音装置(窓枠サッシ)など全館改装に力を入れる |
1959 (昭和34)年 |
■新館増築工事は予定どおり進捗 |
1960 (昭和35)年 |
■この年、京都ステーションホテルは屋上を積み上げ、増室を図る |
<1951-1960>
■世相
朝鮮戦争ではずみをつけた日本の景気は、3歩前進2歩後退のペースながらゆっくりと回復。やがて電化時代の訪れ。ラジオ・テレビに多くの人が心を寄せた。
太陽族をはじめとする若者風俗が政治から大衆文化まで、大きな影響力を持ちはじめるのもこの時代からであろう。
■流行語
- 38度線
- ノーコメント
- 社用族
- 三等重役
- 逆コース
- 脚線美
- エッチ
- 君の名は
- 八頭身
- 電化
- モンロー・ウォーク
- 死の灰
- カラテ・チョップ
- 反則
- ぐれん隊
- 歌声喫茶
- 三種の神器
(テレビ/洗濯機/冷蔵庫) - 太陽族
- もはや戦後ではない
(経済白書) - グラマー
- 1億総白痴(大宅壮一)
- 決定的瞬間
- 兵隊の位(山下清)
- 有楽町で会いましょう
(フランク永井) - 何と申しましょうか
(小西得郎) - デラックス
- 私は貝になりたい
- ながら族
- イカス
- シビレル
- 神様仏様稲尾様
- 団地族
- 私の選んだ人
- ガメツイ
- セクシー
- ヨワイ
- ダッコチャン
- 黒い花びら(水原弘)
- 私は嘘は申しません
(池田勇人首相)
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