第一部 前史編 ~波瀾万丈~ 明治2年~明治27年

21.宿泊人員表

前田又吉は明治26年の1月に亡くなりましたが、その年の1月から12月までと、翌27年1月から3月13日までの1年3ヶ月間の「宿泊人員表」が2冊残っています。
宿泊者の名前、年齢、職業、族籍、住所、到着年月日時刻、出発月日時刻、などを克明に記載して一連番号がつけられています。作成の日付は27年3月25日です。それにしても、なぜ、3月13日までという中途半端なところで締めくくってあるのか、疑問がわくところです。

明治27年3月といいますと、前田家と三井銀行が粉議をつづけている最中で、3月7日に三井が、「常盤ホテル」の食器など、営業に必要な物品の差し押さえに踏み切っています。その時に、宿泊していた客がすべて立ち去ったのが13日で、この日をもって、「常盤ホテル」は営業の停止状態になったと考えられます。差し押さえが解かれて営業を再開したのは4月6日からでした。
差し押さえの時期は、春の行楽のシーズンでもあり、外国人の宿泊も多かったので、ホテル側にはかなり大きな打撃であったはずです。このため、差し押さえを受けても営業停止ではありませんと、新聞広告を出したり、弁護士が、差し押さえ解除仮処分申請の口頭弁論を急いでほしい旨、裁判長に要請しております。

紛争は別として、この人員表によって、当時の「常盤ホテル」の宿泊事情がよくわかりますので、資料としても大切な記録となりました。その概要を紹介してみます。

美濃紙判罫紙57枚を綴じたものです。冒頭に「河原町警察署警部御中」、また末尾には「右之通相違御座無候也」とありますので、警察への報告であることがわかります。ホテルの名前はどこにもありませんが、「京都市上京区河原町通二条上ル 一之舟入町四十五番地 旅客営業人 前田ハナ」とありますので、「常盤ホテル」のものであることは間違いありません。ただし、住所に誤記があって、正確には「二条上ル」ではなく「二条下ル」のはずです。

記載された宿泊者は、明治26年の分は延べ1181人、27年の3ヶ月分は147人です。月別に一覧表をつくってみますと、もっとも繁盛するのは4~5月の春のシーズン、つぎが10月~11月の秋のシーズンです。しかし、人数だけでは、宿泊の実情はわかりません。各人の宿泊日数が違うからです。そこで、最も閑散な2月と、多忙の11月とを選んで、毎日、何人が宿泊したかを、調べてみました。

2月では、1日に13人の宿泊が一番多く、2ケタの日はたった8日だけです。たった1人の日もあります。11月では、さすがに60人、50人という日が続いています。

もう少し分析をすすめます。外国人専用のホテルですから、圧倒的に外国人が多いことは、いうまでもありません。では日本人はどのくらい泊まったかを見ますと、延べ225人です。このうち延べ146人が通弁と呼ばれたガイド業者です。ガイドは客を案内して、何回も泊まりますので、人員表の職業欄に通弁と書かれた人を拾いあげてみますと、74人の名前が浮かびました。年間8回も宿泊したガイドもいます。ガイドは、客から案内料を受け取るだけでなく、ホテルからリベートを受け取る商習慣がありましたので、ガイドは実入りも多く、なかなか羽振りがよかったようです。

そのため、このしきたりをやめようとするホテルや貿易業者との間にトラブルを起こすことになりますが、その点については、後述にゆだねます。

日本人延べ225人から通弁を差し引いた延べ79人が一般の日本人旅客かといいますと、必ずしもそうとはいいきれません。人員表を見ますと、家族連れと見られる外国人グループの中に若い日本女性が交じっていますが、職業は下女・被雇などとありますので、この場合は、自らの意志でホテルに宿泊したわけではありません。このような人を除外してゆきますと、日本人のホテル利用は、知事などの官吏、大手企業の社長、病院長、外国人を案内しているらしい貿易業者など、ごく限られた人たちであることがわかります。

朝妝騒動を描いた当時の風俗画朝妝騒動を描いた当時の風俗画

その中に黒田 清輝の名が見えます。いうまでもなく、新進の洋画家です。パリから帰国すると、すぐに京都を訪ねています。京都のなごやかな風景と風俗にふれて、滞欧10年のあかを洗い落としたのでした。
後に、明治28年京都で開かれた第4回内国勧業博覧会に、我が国で最初の裸体画作品「朝妝」を出品して、大騒ぎになったことは、よく知られています。

国籍では、イギリスが320人、アメリカが267人(ハワイ6人)で、他の諸国を断然引き離しております。外国人の職業では、圧倒的に多いのは「商」です。

黒田 清輝(1866~1924)

近代洋画の確立者。明治17~26年までフランスに学び29年白馬会を創立。紫派と呼ばれる。28年の京都内国博覧会では裸婦像「朝妝図」が出品され物議をかもした。

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