第三部 大正編 ~平穏無事~ 大正初年~大正15年

41.英国皇太子

大正11年という年は、知名外国人の来日が目立ちました。先ず2月にフランスの答礼使ジョッフル元帥夫妻が令嬢とともに来日、京都では駅頭に小学生が両国の小旗を打ち振ってお出迎えをしました。
3月には、サンガー夫人が2度目の日本訪問で、産児制限運動を盛り上げました。4月には英国のプリンス オブ ウェールズ親王殿下がお見えになりました。そして11月は、相対性理論で名高いアインシュタイン博士です。
そのほか、芸術の分野では、5月はバイオリンの名手ジンバリスト。9月、ロシアン・バレーのアンナ パプロアが、『瀕死の白鳥』を上演しています。帝国劇場の入場料は特等席15円、1等席13円という破格の料金でした。ほかにピアノのウランジミル ゴドウスキー、バイオリンのピアトロ、キャスリン パーローらの演奏で、日本にも洋楽ファンが増えたといえます。

日英同盟の絆で結ばれたイギリスの王室から若きプリンスをお迎えして、日本中が沸き立ちました。京都市民こぞって歓迎の中、4月27日、ウェールズ皇太子は京都にお着きになりました。宿所は大宮御所で、随員の方々は「京都ホテル」にお泊まりでした。
大変庶民的な方でありましたので、ご到着するとすぐに、日本の係り員にも知らせず、3〜4人のお供を連れただけのご微行で、町に買い物に出られました。背広に中折帽、お車も普通の自動車でしたので、警備の者も気がつかなかったようです。あわてて追いかけるという一幕もありました。
殿下は寺町二条で車を捨てて徒歩で三条京極から四条通りへと散策され、途中、テニスのラケットなどを買い求められています。さらに徒歩で、随員たちのいる「京都ホテル」にお入りになりました。
その翌日は、「京都ホテル」に公式にご訪問になられて、歓迎の昼食会と晩餐会とが開かれています。その時のメニューは、つぎのようなものです。

御 昼 餐 (軽食)

オードブルの取り合わせ
野菜の細切り入りポタージュ
冷たい伊勢海老 マヨネーズ添え
若鶏のソテー トマト風味、揚げ卵添え、
マレンゴ風
お口なおしのシャーベット
ビーフステーキ サラトガ風ポテト添え
洋梨の白ワイン煮込み
ガトーの盛り合わせ
デザート

御 晩 餐

オードブルの取り合わせ
温かいビーフのコンソメスープ
鯛のボイル オランデーズソース
骨つき羊のポアレ さんど豆添え
アスパラガスのグラタン
鴨の詰め物のロースト 季節野菜添え
シャルロット ロシア風(ババロア)
小菓子の盛り合わせ
デザート

さらに殿下は、5月3日にも、前触れなしに「京都ホテル」にお立ち寄りになり、この時は、ベランダで接伴役の東宮大夫珍田捨巳公爵らとお茶を召し上がったあと、玉突場で、珍田公爵とゲームに興じられました。
淡川支配人、中川副支配人とも握手され、貴賓名簿には『京都は実に愉快で楽しく日を送った』と、お気軽にサインされました。お帰りの際に、「一度、人力車に乗ってみたいから・・・」とのご希望で、ホテルが用意した二人引きの人力車で御所までお帰りになりました。
この皇太子こそ、のちに、シンプソン夫人との恋で、王位をわずか5ヶ月で捨てられたウィンザー公その人です。《世紀の恋》として、世界中の話題になられました。

大正11年

山県有朋が死に、ワシントン条約が調印され、富国強兵日本にも、変革の微風が吹く。映画が娯楽の王様となり、「阪妻」(阪東妻三郎)や「アラカン」(嵐寛寿郎)、市川右太衛門、片岡千恵蔵らが次々とマキノプロに入社。京都は「日本のハリウッド」として全盛をきわめる。

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