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- 第四部 昭和前期編 ~多事多端~ 昭和初年~昭和20年
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第四部 昭和前期編 ~多事多端~ 昭和初年~昭和20年
45.「ステーションホテル」
大正8年頃、京都市が京都駅前にホテル建設を計画している、と噂になったことがあります。東京駅には「ステーションホテル」がありますし、たまたま大阪市がホテルの直営を始めたときでもありましたので、京都でもと言う発想であったと思われます。
しかし、別に京都市が計画したわけではなく、やがて消えてゆきました。噂話では、場所は烏丸七条下ル、現在の近鉄デパートのあたりで、資本金50万円で、本館320坪、木造3階建て、地下1階、各階暖房、水洗便所施工という計画であったと伝えられています。
昭和3年11月になって、ようやく京都にも「ステーションホテル」が誕生しました。京都商工会議所が、御大典の慶祝事業の一つとして、京都駅前に京都の特産品を集めた物産陳列館の建設を計画しました。物産陳列館は、すでに京都市が岡崎に開設していましたが、足場が悪いので、駅前に株式会社京都会館を建設し、1階に物産陳列所、2階以上をホテルにすることになりました。用地は、竹上らが鉄道省に掛け合って、七条ステーションの東に隣接した三角形の土地の払い下げを受けています。
ホテルの経営は、竹上との関係から、「京都ホテル」が引き受けましたが、「京都ホテル」が株式組織になってからの初仕事であり、積極的な拡張政策でした。
しかし、翌4年7月にはもう、「京都ステーションホテル」は「京都ホテル」から分かれて独立しています。「京都ホテル」の社長であった竹上藤次郎が「京都ホテル」の方は辞任して、「京都ステーションホテル」の社長に横滑りしています。ちょうど退職金代わりに与えて、辞めてもらった格好になりました。
その後は、京都のホテル界は、「京都ホテル」「都ホテル」の老舗のホテルに、新顔のいわばビジネスホテルの「ステーションホテル」が加わって、3ホテルが競争することになります。
後に戦争が激しくなりますと、経済統制が強化され、ホテルや旅館の宿泊代は価格統制をうけます。昭和18年、全国のホテルが5級に区分けされていますが、1級には「京都ホテル」と「都ホテル」が入り、2級には「志賀高原温泉ホテル」、「琵琶湖ホテル」など、そして「京都ステーションホテル」は4級でした。1級の最高料金は浴室付き1人室が12円、2人室が22円です。そして4級では浴室付き1人室6円となっていました。
昭和4年7月の第4回株主総会では、定款を改定して新たに顧問のポストを設け、「帝国ホテル」社長の大倉喜七郎が顧問となりました。
顧問は役員と違って、株券の所有を義務づけられていませんので、株主名簿には大倉の名前は見えませんが、株主総会に提出される決算報告には、毎期、監査役と並べて、顧問の名が記載されておりますので、やはり重要な指導的役割を果たしていたことが想像されます。
竹上が去ったあとの社長には井上武夫が就任し、常務には大塚常吉が昇格しました。名実ともにも経営の実権が大塚に委ねられました。大塚は学者肌の人でもあり、『ホテル読本』(昭和3年)、『ホテル法規の研究』(昭和4年)、『ホテル業の経済的考察』(昭和11年)等の著書を刊行しています。『ホテル読本』は、ホテルの従業員のための教科書として書かれたもので、ホテルで働く人達の心構え、マナーなどを懇切に解説しています。同書の序文に、次のような著書の紹介があります。
序
畏友京都ホテル取締役兼支配人大塚常吉の著「ホテル読本」が出来た。
著者は満鉄ホテルを振り出しに内外ホテル生活十八年、
その間ホテルのあらゆる方面に経験を有し、その上ホテルに対する文献の蒐集に心掛け、
実際と理論に精通せる点に於いては恐らく我がホテル界に第一人者たる可く従って
この種の著者として最適任者たるは謂ふを俟たぬ。
本書はホテル組織論より説き起こして食堂、客室係の心得に至るまで十二章、各論何れも
親切なる考察を遂げた記述で、東西に多くの例を引き苟もホテルマンたるものの心得て
置かなねばならぬ事は巨細漏らさず之を網羅し、加ふるにその行分の流暢、分類の平易
の解り易きは恰も著者平常の講述そのままで、いかにも親しみ易き感じを与へる。
兎に角この極著書として斯くまで適切に、斯くまで興味深く著述されたるはわが国に
於いてはこれを以て始めとす可く、必携書たるのみならず、旅館業者、一般旅客斡旋
業者其他この方面に趣味を持つ人士にとってこの上なき好参考書であると信じ、
これを大方に薦むるに躊躇せぬものである。
これを以て序に代へる。
昭和三年十一月
「ジャパン ツーリストビューロー」に於いて
高久 甚之助
第2次世界大戦への歩みを日本が急激に進める中、国民を戦争に全力集中させるために昭和13年、近衛内閣は国家総動員法を施行。
政府によって労務、物資、施設、事業、出版、物価などが統制された。庶民の暮らしに於いても、商品の闇取引が始まり、レコード会社は軍歌の制作にこぞって乗り出す。
14年にパーマネントの廃止、15年には奢侈品の製造販売禁止等々、軍国主義一色に。
昭和18年頃の物価は米10キロが3円57銭、大工の1日当たりの手間賃が3円90銭、東京~大阪間の国鉄3等料金が8円5銭、ビール大ビンが90銭。
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