第五部 昭和戦後編 ~感慨無量~ 昭和21年~昭和63年

68.ベルボーイひと筋54年

京都新聞に、大きな写真とともに
《ベルボーイひと筋54年》《京都ホテルの脇さん…きょう退職》《国内外に多数のファン》
という見出しの記事が載りました。 「京都ホテル」の玄関を預かって半世紀の脇さんが退職するというニュースです。

…昭和61年3月10日「京都新聞」より…

京都ホテル(京都市中京区)のベルボーイとして54年間勤め上げたこの道ひと筋の脇明寛さん(73)が10日で退職する。半世紀を振り返って「行きすぎないサービスを」がモットーの脇さんには、国際観光都市京都を支えたという自信がみなぎっていた。

脇さんは昭和4年、当時ハイカラの代表のようなホテルの接客係りとして就職。モンキー服と呼ぶハイネックに金ボタンの制服に身を包み、緊張の毎日。「戦前は公爵など、終戦直後は進駐軍がお客様でした。大げさなようだが日本の歴史の目撃者ですかな」

きめ細かなサービスを受けた脇さんファンは多い。「宿泊予定を脇さんに注文するお客さんが国内ばかりか外国人にも多くて……」と上司の宿泊部長。58歳定年の同ホテルだが、脇さんは定年後も《特例》の嘱託として今日までも頑張った。今回、本人の希望もあって退社することになったが、脇さん本人も「旅行者には生涯に一度しか京都に来ない人も多い。そんな人たちだからこそ、好印象をもってもらうため私たちサービスマンは頑張らねば……」。最後まで京都への思いやりがこもる。

脇さんが「京都ホテル」に就職したのは18歳の時でした。はじめは玄関の掃除ばかりで、客室などやらせてもらえなかったといいます。掃除が悪いなどと足蹴にされることもしばしばでしたし、上の人が帰れと言うまでは帰れません。休みも「あす休ませていただけますか」と許可を得なくては休めません。

そんな下積みの中でも卑屈にならずに、ただただ陰日なたなく、お客さまへのサービスを心がけましたので、お客さまも、その誠意に惚れ込まれたようです。たくさんの知己を得ました。脇さんが辞めると知って、多くのお客さまからお手紙をいただきました。
お客さまとホテルマンとが、このように心で結ばれるというのも、脇さんの誠実な人柄とともに、「京都ホテル」の良き伝統の一つではなかろうかと思います。

一例ですが、お客さまのお手紙を紹介させていただきます。

佐々木康綱氏書簡
<佐々木康綱氏書簡>

突如のお便り
一種の驚きと
狼狽でさへありました。
憂愁でもありました。
歳月のゆくえ
はやきとは言へ
脇さん
五十年、五十数年
善行の
誠実でありますか。
脇さんは偉い。
京都ホテル殿の
誇りでありましょう。
益々のご壮栄を祈らずには
おられません。

三月吉日  脇様
鶴辞  千年樹
佐々木康

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