- TOP
- 京都ホテルグループ135年の歴史
- 写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み
- 1931(昭和6)年―1940(昭和15)年
写真・年表に見る京都ホテル100年の歩み
1931(昭和6)年―1940(昭和15)年
1931 (昭和6)年 |
■満州事変勃発でアメリカ観光団が減少 |
---|---|
1932 (昭和7)年 |
■世界的不況、イギリスの金本位制停止、満州及び内蒙古の時局の緊張で外国観光客が減少。この頃から京都ロータリークラブの活動盛ん(幹事・大塚常吉) |
1933 (昭和8)年 |
■国際的不況、満州問題、アメリカ大統領選挙等のため、アメリカ人の旅行者激減。 |
1934 (昭和9)年 |
■わが国の円価の対外為替率低落による外国人客の増加と内地景気回復 |
1935 (昭和10)年 |
■為替安による好景気 |
1936 (昭和11)年 |
|
1937 (昭和12)年 |
■アメリカ大統領選挙、太平洋岸アメリカ船員のストライキによりアメリカ人客減少。イギリス人の入洛、なお頻繁 |
1938 (昭和13)年 |
■日支事変勃発、内外人宿泊者漸減 |
1939 (昭和14)年 |
■諸物価騰貴、ホテル業受難時代到来 |
1940 (昭和15)年 |
■七七禁令(奢多品等製造販売禁止)。九一禁令(料理など販売制限)。青少年雇入制限令 |
<1931-1940>
■世相
軍歌の響きの中に何もかもが呑まれてゆく。もうハイカラもモダンもない。日本精神と大和魂が日本中に満ちあふれ、わずかに子どもたちには黄金バットやのらくろが残された。
満州事変、日華事変という「戦争でない戦争」が戦われ、国内では五・一五事件、二・二六事件。
大東亜共栄圏の理想は高らかだったが、家庭も職場も、もちろんホテルもまず追われたのは食糧の確保であった。
■流行語
- 男子の本懐
(浜口首相遭難の弁) - 天国に結ぶ恋
(坂田山心中の見出し) - 挙国一致
- 「話せばわかる」
- 「問答無用」
(犬養首相と五・一五反乱軍) - 非常時
- アカ
- どこまで続くぬかるみぞ
- 転向
- シェイは丹下、名はシャ膳
(大河内伝次郎) - 今からでも遅くない
(二・二六事件の時の反乱軍向け投降ビラから) - 暁の超特急
(戦前の名スプリンター、吉岡隆徳) - ガンバレ、前畑ガンバレ
(ベルリン五輪中継) - 代用品
- 総動員
- 馬鹿は死ななきゃなおらない
(広沢虎造の浪曲から) - ぜいたくは敵だ
- 複雑怪奇
(平沢首相の言葉から) - バスに乗り遅れるな
- 隣組
- 胸の痛みに堪えかねて
(湖畔の宿)
「京都ホテル100年ものがたり」サイト内の内容の全部または一部を無断で複製・転載することはご遠慮ください。